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略歴

​五十嵐 和彦 先生 (S62年卒)

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 第2回目のOB インタビューは、昭和62年卒で現在は東北大学大学院医学系研究科生物化学分野で教授を勤められている、五十嵐 和彦 先生にお話を伺いました。五十嵐先生は、医学部ラグビー部の顧問をしてくださっています。

​                        (聞き手:石井、伏見、金子)

    伏見

 五十嵐先生

    

 

    石井

 五十嵐先生

   

 

 

 

 

 

    金子

 五十嵐先生

   

 

    伏見

 五十嵐先生

    石井

 五十嵐先生

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    金子

 五十嵐先生

   

 

 

 

 

 

 

 

 

    伏見

​ 五十嵐先生

    石井

 五十嵐先生

Q:まず医者を目指したきっかけ、東北大学医学部に入ったきっかけを教えてください
 

A:僕自身は元々科学、サイエンスにこどもの頃から興味があって。今の時代と違って科学に触れる機会がほとんどなかったんですよ。で当時僕がちっちゃい時に「未知の世界」っていうテレビ番組があって、日曜の夕方だったかな、すごい面白くて。宇宙のこととかいろいろ取り上げるんですけど、たまにヒトの体に関することとかやっててそれが面白かったっていうのが一つありますね。それと自分とか自分の家族が病院にかかる機会があって、それで病気のこととかに興味を持ったのがきっかけの一つですね。それで大学受験する時は、最初は工学部に行って原子力関係をやろうかなと思ってたんですよ。でも高校二年生だったかな、うちの母親がちょっとした病気になったりして、病気のことを勉強してみたいと思って目指しました。
 

Q:医学部ラグビー部に入ったきっかけについて教えてください
 

A:僕が高校生の頃ってラグビーって一般的なスポーツじゃなかったんですよ。ただ一方で関東の大学ラグビーの中継、早慶戦とか早明戦とか見てすごい面白いなと思ったんですよ。あと高校のときですね、僕山形の出身なんですけどどこの高校にもラグビー部がなかったんですけど、僕の友人が山形のカモシカクラブっていう高校生とか大学生が一緒になってラグビーするクラブに入っていて、その彼にラグビーの楽しさを教えてもらったっていうのもあって、ラグビーに興味を持ちましたね。それで大学行ったらそれまでやったことないスポーツやってみたいっていうのもあってラグビー部に入ったって感じですね。ちなみにその彼、後藤薫くんはその後山形大学医学部に行って、彼とは毎年試合してましたね。当時は山形大学の方が圧倒的に強かったですね。現在は山形大学の解剖学の教授をしてますよ。
ちなみに高校時代はスポーツ全くやってなくて、エアロスミスのコピーバンドをやってました。

 

Q:医学部ラグビー部での思い出は何かありますか?
 

A:たくさん思い出ありますけど、やっぱり慣れるまでは練習がすごい大変でしたね。特に一年生の時はね。慣れてくれば体力もつくし、痛みとかもたいして苦ではなくなるんですけど、やはり入り口のところはハードル高かったですね。でも先輩とか優しい人が多かったので充実してましたね。僕らの時は毎年夏に合宿やってたんですよ、東医体が十月位だったので。岩手県で合宿してたんですけど、朝三時間やって午後三時間やってていうのは本当に辛かったですね。あとはやっぱりラグビーっていうスポーツの特徴だと思うけどいろんな人とか、先輩とか後輩も含め交流できたのもとても良かったと思いますね。
 

Q:先生が思う医学部ラグビー部の魅力を教えてください
 

A:先ほどいろんな人がいるって言いましたけど、いろんなポジションがあってそれぞれ求められる役割も違って、そういう多様なプレーを集めて一つの試合を作っていくのがラグビーの面白いところかなと思いますね。あと面白いところは、先輩が一方的に指示するんじゃなくて、後輩もどんどん意見していったりして、先輩後輩の上下関係を超えた交流ができるのが、すごい大きな魅力じゃないかなと思いますね。
 

Q:初期研修のお話や現在に至るまでのキャリアパスについて教えてください
 

A:これはラグビー部がすごい大きな影響を及ぼしていて、僕の二年上の先輩に加齢研の川島隆太先生と、今筑波大学にいる加藤光保先生がいたんですよ。加藤先生は病理に興味があって学生時代から病理学の研究室に通って研究してたんですよ、ラグビーもしながらね。川島先生は、当時加齢研は抗酸菌病研究所って言ったんですけど、その抗酸菌病研究所の脳のCTをとるような研究室に出入りしてたんですよ。彼らがラグビーの合間に研究がどんなふうに面白いのかとか、医学が進展するには研究がすごく大事だ、というふうに話していてですね。それで研究を学生時代からやってみたいなと思ったんですよね。当時は今みたいに学生が研究するのはカリキュラム上組み込めれてなかったので、興味のある学生がボランティア的に参加してたんですよ。それで授業聴いてる中で臨床の研究とかしてみたいな思いました。実際に研究してみると、林典夫先生のお手伝いをしていたんだけど、とても面白くて、このまま基礎医学をやっていこうと思ったんです。川島先生も加藤先生もそのまま大学院に進んだので、僕もそのまま大学院に進んだんですよね。それ以来遺伝子の発現に関する研究をずっとやっていますね。研究もすんなりとは進まなかったんですけど、ラグビー部の同級生には精神的に支えてもらいましたね。みんなはほら、研修医やってるといろんなことができるようになっていくんですよ。一方研究というのは、これができるようになった、っていうのはあるようで無い、あるいはあっても小さいことだったりして、結構精神的なプレッシャーは大きかったんですよね。その時に飲み会とか開いてもらって励ましてもらってましたね。
 

Q:現在のお仕事について教えてください
 

A:テーマは時代によって変わってきますが、ずっと遺伝子発現に関わる研究をしています。今は、細胞が分化する時の遺伝子の発現の変化はどうやって作り出されるのかを、一番の基本的な問題として取り上げてやっています。タンパク質をコードする遺伝子はヒトの場合だと20000個くらいあるんですけど、その20000個の遺伝子は細胞が違えば発現してくる遺伝子の組み合わせは違ってきます。もっと言えば発現が違うことによって細胞が違うってことですね。細胞の分化の過程、幹細胞が分化していく過程でどのように遺伝子の発現が調節されていくかを、大きなテーマとして取り上げてますね。それと分化する時だけじゃなくて、細胞は自分の置かれている環境の変化に応じて遺伝子発現を変えるわけですね。そういった環境に対する細胞の応答、特に鉄(Fe)の量をある一定の範囲に収めるために細胞は遺伝子発現を調節するんですけど、その仕組みについて理解することもやっています。あとそれからエピジェネティクス、クロマチンの状態変化がどのように環境変化によって引き起こされるかについてやってますね。病気という意味では、そのような遺伝子発現の変化、あるいは鉄に対する応答、クロマチンの変化が異常になって、がんが悪性化していくのを理解しようと研究しています。


 

Q:医学部ラグビー部での経験や活動が現在のお仕事に生きていると実感することはありますか?
 

A:やっぱりね、研究もそうなんだけど社会っていうのは上に立つだけでは動かないんですよね。ラグビー部時代に先輩が教えるだけじゃなくて、後輩が先輩に教える、意見を言うっていう経験が今役に立っているなと感じますね。研究室は一番上に教授がいますけど、教授がいつも常に正しい考えをできるとは限らないですよね。それから僕が考えつくようなことにも数に限りがある、限界があるのも事実で、他の人たちが考えるアイデアや改善点を、如何に全体の活動に組み込むのかが重要ですね。そういうことはラグビーをやった経験が生きていると思います。まあでも下からなんか言われるとカツンと来ることもありますけど笑。でもできるだけそれを表に出さないようにしていかないといけないですね。まだまだ修行が必要ですね。
 

Q:最後に現役部員に一言お願いします
 

A:コロナの影響を一番大きく受けていると思います。学業もそうだし部活動もいろいろ制限を受けて大変だと思います。その中でいろいろ工夫をして活動しているのでとても心強く感じています。あとせっかくラグビー部にいるわけなので、コロナに負けないように、コロナ禍でも勉強、ラグビーを工夫して進めていって欲しいと思いますね。OB会としてもジム代の支援はするつもりなので工夫して頑張って欲しいなと思います。

​五十嵐先生、お忙しい中お時間を頂きありがとうございました    (文責:石井)  

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