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略歴

​布施 昇男 先生 (H3年卒)

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 第3回目のOB インタビューは、平成3年卒で現在は東北メディカル・メガバンクで副機構長をされている、布施 昇男 先生にお話を伺いました。

​                        (聞き手:石井、梶浦、佐藤)

    石井

  布施先生

    

 

    

 

 

    梶浦

  布施先生

   

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

    佐藤

  布施先生

   

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    石井

  布施先生

    

 

 

 

    石井

  布施先生

    梶浦

  布施先生

   

 

 

 

 

 

    佐藤

​  布施先生

    

    石井

  布施先生

    梶浦

  布施先生

Q:まず医学の道を目指したきっかけや東北大学医学部に入った経緯について教えてください
 

A:高校生の時、誰かをサポートして社会に貢献できる仕事がいいのかなぁ、と考えていて、最初は医学部か法学部と思っていました。僕は山形東高で応援団だったんですが、応援団はすごく練習する部で。学ランで革靴でダッシュしたりするんですよ。高2のとき、練習で坂道から転がり落ちて右手を骨折したんです。それで僕としては珍しく、病院に行きました。その時の研修医が、迷ってなかなか診断できなかった。それで、意外と医師は「あなたはこの病気です」とはいかない、理論だけでは割り切れないところがある仕事だと。医師という職業が、現実的に自分にできる仕事に思えました。面白そうだな、と感じて医学部を目指すことにしました。やるからには世界に通用する仕事がしたかったのと、東京6大学の応援団に入りたかったので、現役時は東大を受験、あえなく浪人しました。東京に出て浪人してみたのですが、出身が山形なので、東北地方を基盤に仕事を発信するのが良いのかなぁと。東北大では世界に通じる仕事をしている先生も多く、「研究第一主義」、「実学尊重」という言葉にも惹かれ、最終的に東北大に入りました。振り返ってみると、東北人の自分には東北大が合っていたかなぁと思います。

 

Q:医学部ラグビー部に入ったきっかけについて教えてください
 

A:高校時代応援団だったので実は当初、学友会の応援団からものすごく誘われたんです。最後まで迷いましたが、高校までの活動にはピリオドを打ちました。運動部としては、アイスホッケーやボートにも興味がありました。ラグビー部には、山形東高の先輩の五十嵐先生に誘われていたんですが、ミルコンの時にもまだ決めかねていました。あるとき、なぜかバスケ部の部室に騙されて連れていかれたことがあって。トイレに行こうと思って部室を出たんですが、場所が分からなくて先輩に聞いたんです。それが一期上の青木先生でした。聞いた瞬間手をぐっとつかまれて「こっちだ!」って。そのままラグビー部の部室に連れていかれました笑。それがきっかけです。ちなみに、浪人時代に受けた防衛医大の二次面接で、なぜか入学したらラグビー部に入るよう言われたので、実はラグビーには縁があったのかもしれないです。
 入部した以上は途中でやめるのは嫌だったので、6年間ラグビー三昧。5年生ではキャプテンをやりました。学生時代はロックで4番でした。部員が多かったのでロック以外で試合に出たことはありません。ラグビーは研修医になってもしばらくの間続けていましたが、卒後3~6年目には大学院研究のため中断しました。学位を提出した瞬間に同級の菊池OBから「社会人のチームの練習を見に行かないか」と電話がかかってきて、卒後7年目にSRCに入りました。それから昼間は臨床、夜はナイター練習、日曜日は試合、というのを5年くらい。SRCではバイスキャプテンまでやりました。

 

Q:医学部ラグビー部での思い出は何かありますか?
 

A:入部当時は革のボールで、なぜか唾をつけてボールを磨くことをやっていて。不思議だなあと思っていました笑。それが入部して1番最初の思い出ですね。1987年の第1回W杯でゴム製のボールが初めて採用されて、2年か3年の時ゴムのボールが出て。革のボールは雨にぬれると3倍くらいの重さになるんです。バックスはショートパスしかできない感じでした。モール、ラック全盛の時代から大きく変わった、そういう時代ですね。
 あと、当時は今の立体駐車場のところに石田広場というグラウンドがあって。空き時間に練習ができる、非常に良い環境でした。短パンに白衣を羽織って解剖実習に参加したり笑。練習後は同級生と定食屋に行って。よく食べ放題にも行きました。焼肉食べ放題や、寿司食べ放題に行って、あまりにも食べるから「今回だけにしてください」と丁寧にお断りされた店もあります。その頃は部員も多くて、試合に出るのは3年生くらいからだったので、1・2年生の頃は試合よりも3定戦(東北大、山形大、秋田大)のレセプションでいかに勝つかがテーマでした。ホテルで肌を露出しすぎて、「もう来ないでください」と言われたこともあります笑。下級生は酒飲み人形と言われていて、ずいぶん飲んだ覚えがありますね。飲みすぎて締めのラーメンを食べているときに眠ってしまい、器に顔をつけたこともあります笑。
 昔は春と夏に合宿があって、みんなで合宿所に泊まりました。午前の練習が終わったら仏舎利まで走って、帰ってきたら午後の練習。それが終わったら今度は牛越橋まで走って。あまりにもきつくて、泡を吹いて倒れたこともありました。練習としては、仙台大、福祉大と練習試合をよくやったのが非常にきつかった。あとはフォワードだけ川内のグラウンドに行って、全学と一時間半スクラム組んだり。首の皮がむけるまでやっていて、めちゃくちゃきつかったです。1年生の時の東医体は旭川だったので、みんなでフェリーに乗って苫小牧まで行って。帰りはお金が無くなって野宿したのが楽しかったですね。あと5・6年生の時は菅平だったので、非常に楽しかったのを覚えています。

 

Q :先生が思う医学部ラグビー部の魅力を教えてください
 

A:一番の魅力は同期、先輩後輩との繋がりですね。これが最大の財産かなと。ドクターになってからもラグビーをやっていたと言うだけですぐ話が盛り上がることが多いですね。スポーツとしては、やはり対戦相手に対する敬意。なかなか割り切れないこともありますが、試合が終わればNo Side。観客も相手に対する敬意があって。前回のW杯の決勝戦(南アフリカvsイングランド)を現地で観戦したんですが、南アフリカのファンの隣にイングランドのファンがいても喧嘩や暴動は当然起きないし、良いプレーには拍手が送られていました。そのようなスピリットが好きですね。試合で100対0とかになることがありますが、あれは一つの礼儀だと思っていて。手を抜かない、とことんやる、というところが非常にいいなと思っています。あと、みんなでとったトライなので、騒がずにクールに振舞った方がかっこいいというところがいいですね。

 

Q:余談ですが先生のころはどれくらい強かったんですか?
 

A:僕のころはちょうど強くなりかけで、3年生のときそれまでかなり強かった山形大に勝つくらいになったんですが、そのあと大量に部員が辞めて。僕がキャプテンになるときは冬の練習は9人しかいなかった。でも次の年に6人入って春の試合ができたんです。でもバックスリーが1年生の未経験者。開始五分で相手が気が付いて、もう大変でした。なかなか上まではいけない時期でしたね。最近の方が強いと思います。

 

Q:初期研修でのお話やその後現在に至るまでのキャリアパスについて教えてください
 

A:ラグビー部のOBで眼科に行ったのは歴代でたぶん僕だけなんです。学生時代は、臨床のどの分野も面白いと思ったけど、スペシャリストがいいなぁと。眼科はすごく機器が多い科で、AI、画像診断、マイクロサージェリーとかが発展するだろうと思っていたのもあって。1991年に入ったのですが遺伝子の研究にも興味があったので2000年から2年間ミシガン大学に留学しました。日本に帰ってきてからは8年くらい臨床三昧で、ほとんど病院に入り浸りという感じで。気が付けば講師、准教授になっていました。その頃震災が起こりました。ただ、震災の時は生きるか死ぬかなのでスペシャリストはそんなに必要なくて。安定している時じゃないとスペシャリストの力は発揮できないんだなと。震災をきっかけに東北メディカル・メガバンク機構が2013年にできて、誘われて入りました。臨床は続けていますが、週一回くらいで、今は主に研究をやっています。

 

Q:現在のお仕事について教えてください
 

A:現在は東北メディカル・メガバンク機構という部局に属して働いています。震災復興のためにできた機構で、震災の次の年の2012年に作られました。震災の時は紙カルテが津波で全部流されて、データ管理や医療の基盤を整備することが必要なんじゃないかと。あとは、もともとゲノムの研究をやっていたのでゲノム情報を用いた疫学調査をしようと。一般の人を病気になる前からずっと追跡して、ゲノムとの関係を調べ、どういう人が病気になるのかを研究しています。それと、バイオバンク。今は500万本くらいのサンプルがあります。これをつくって研究の基盤にするという仕事です。あんまり何科とかは関係ない感じですね。あと今は、一般の人にゲノム情報をお返しするというプロジェクトをやっています。がんの遺伝子を持っている人に結果をお返ししていて、そのために臨床遺伝専門医という資格も取りました。今後、遺伝情報を使って病気の予防ができないか、ということをやっています。

 

Q:医学部ラグビー部での経験や活動が現在の仕事に生きていると実感することはありますか?
 

A:僕自身は「組織」を一番学んだかなあと思っています。必要とされればそのポジションで責務を果たす。サポート側に回った場合にはサポートに徹する。自分をそのポジションに当てはめていかなければいけないというところですね。そういう基盤がつくれたという風に思います。

 

Q:最後に現役部員に一言お願いします
 

A:ラグビー部ができて40年。「伝統」を守ることは必要かもしれませんが、伝統は作っていくものだと思っています。OBとしては良いものは保っていてほしいとは思いますが。変化を恐れずに、状況に応じて変化することが大事だと思います。一緒にいる仲間を大事にして充実して活動していけば、組織は発展していくのではないかなぁと。いつもキックオフの気分で部活を楽しんでもらえれば、というのがメッセージです。
 

​布施先生、お忙しい中お時間を頂きありがとうございました    (文責:石井)  

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